まず悲劇の主人公気取りをやめよ ニート、引きこもりから脱出する方法2

前回の記事ニート引きこもり脱出法 私の体験

いよいよ今回から、私自身の経験を通して身に付けた、 ニートや引きこもりから脱出する具体策について書いてまいります。

とはいっても、ニートや引きこもりに対して 「あれをしろこれをしろ」と言っても、 殆ど効果が無いのは自分の経験からよく分かっているので、

まずは「今やっていることで止めた方が良いこと」、 「脱出するために止めた方が良いこと」から始めていきます。

悲劇の主人公気取りをやめよ ニート脱出への道その1

まずこれ。

「悲劇の主人公気取りをやめなさい」ということで、 何はともあれ、これを真っ先にやめること。

私自身がそうだったからよく分かるのですが、ニートや引きこもりというのは、

「俺がこうなったのは○○(親、虐待、社会制度、学校、イジメetc.)のせいだ」 「俺は犠牲者だ被害者だ」「人生は悲劇そのもので、こんな境遇の俺はなんて可哀想なんだろう」 「こんな悲劇の世界からは消えてしまいたい」

などということを1日のうちに何度も考えており、

酷いのになるとその「自分は被害者」や「○○に対する恨み」といった内容を、 毎日毎日、ブログや掲示板に書き込んだりSNSにアップしたり、 さらには見ず知らずの人間にメールで送ったりします。

かくいう私も、両親から夜中の3時くらいまで正座させられて殴られ蹴られ続けたとか、 食事中に怒鳴られ続け食事を捨てられたとか、友達の前でもかまわず怒鳴られ殴られたとか、 秋葉原の加藤被告並の虐待(しかもうちの場合は二人がかり)を一通り受けてきて、

引きこもり時代はその内容を2ちゃんとかに延々と書き込んでいたわけですが、 ある日急に「こんなことやっても無駄、何の解決にもなりゃしない」と思い、やめました。 (ちょうどFF9をクリアしてゲーム機を全部叩き壊した頃かな)

それからは愚痴や泣き言を垂れ流すことはあまりなくなった(ゼロではない)のですが、

もし当サイトが、

「虐待のおかげで正座だけは何時間でもできるようになった」 「幼稚園児の頃から続いた虐待と受験時の腱鞘炎のせいで右半身がおかしい」 「こういう風に殴られたので、今でもこの部分に違和感が残っている」 「整形外科に行っても原因が分からなかった」 「虐待の記憶がフラッシュバックする」 「通勤中に地元の小学生とすれ違った。 私の両親はあのくらい小さな子供を殴る蹴るしていたわけか」 (こんなの書こうと思えば、ブラック企業時のパワハラも合わせてそれこそ1000ページでも書ける)

といったような「自分は被害者」「恨み節」満載の内容だったら、 読者の方はいかが思われるでしょうか。

「このサイトのおかげで人生が好転しました!」というご報告メールなど一切来ない、 人の寄り付かないサイトになるばかりか、

サイトを読まれた方は、 「うわぁ…コイツこれからもロクな人生じゃないだろうな」と、 直感的にそう思われるのではないでしょうか。

その「直感」というのは正しく、もし私がこんなことを延々と垂れ流し続けていたのなら、 引きこもりを脱出して東大合格などあり得なかったし、 年収1000万円もまず不可能だった、ということです。

行動を慎め、思考に気付け

つまり何が言いたいのかというと、

別に「自分を虐待した親や自分をイジメた相手を許しましょう」 「汝の敵を愛せ」「昔のことは綺麗サッパリ忘れましょう」ということではなく、

最初に書いた通り「悲劇の主人公気取りをやめないか!」 ということだけであります。

その具体的な行動としては、

ということであります。

親や学校や社会等からひどい仕打ちを受け、 自分に惨めな思いをさせた相手を憎んだり恨んだりするのは、 まぁ自然で仕方のないことだとは思うのですが、

それでも、「私はカワイソウな悲劇の主人公」ということを、 ネット上に垂れ流すのを止めることくらいはできるでしょう。 たとえ部屋から一歩も出ない人でも。

行動については以上で、次は思考についてですが、

「考えるな」と言われて「ハイ分かりました」と簡単にいかないことは分かっているので、

まずは自分が悲劇の主人公を気取っていたり、何かのせいにして恨んでいる、 そういう思考が頭に浮かんできたことに気付き、

「あ、また悲劇のヒーロー、ヒロインのフリをしているな」 「こんなこと考えても何の得にもならないのになぁ」 「悲劇の主人公を気取っても、端から見たら滑稽なだけなのにな」

くらい思えれば充分です。

以上、まずは第一歩ということで、今回はここまで。

その3 下らない情報は遮断せよに続く。

追記

いきなり完璧に止める、ゼロは無理だろうから、まずは徐々に減らせば良い。

正直言うと、私があれだけの虐待を受けて秋葉原の加藤被告みたいにならなかったのは、 今でも奇跡だと思っている。彼の全てを知っている訳ではないが、 彼と私とでは何が違ったのだろうと考えることはたまにある。

そう考えたとき、やっぱ上記の「垂れ流し」を止めたことや、 親が少しは反省して心を入れ替えたことが要因ではないかと思う。

あと、「愚痴や不満を垂れ流すことでミジメな人生を変えた」という人いたら、 是非とも参考にさせていただきたいのでご連絡ください。

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