前回の記事:怠惰なサラリーマン生活
前回書いたような生活を半年以上続けていると、 東大時代に鍛えた頭脳もすっかり退化して、タダの馬鹿になっていました。
仕事のある日は毎日2時間くらい働いて誤魔化し、 休みの日は、近所の天神橋筋商店街を徘徊したり、 帝国ホテルのロビーやOAPタワー(六本木ヒルズもどき)でタバコを吸いながら 「生きるって何だろう」などと考えていました。
社畜の常套句に「いつまでも学生気分でいるな」というものがありますが、 逆に私の場合は、東大時代の、あの洗練された気分が抜け、 ただのマヌケになっていたのでした。
しかし、頭の中では「このままじゃいかんよなぁ」 という思いがずっとありました。
そんなこんなでダラダラ暮らしていたある日、私が経理部に入れず、 情報システム部に飛ばされた理由を知ってしまったのです。
色々あるのですが、要約すると「会社にハクが付くから東大卒は入れてみたい。 しかし経理部には社長の息子(甥かも)がいるので、 経理部の下っ端の情報システム部でいいだろう。社長の息子の面子も保たれるし」 ということでした。
※の会社では経理部と情報システム部は部長が同じで、 情報システム部は経理部の奴隷的扱いだったわけです。 東証上場といったって、同族企業なんてこの程度。
経理部長からは 「そんなに経理がやりたきゃ他の会社に行けばいいやないか」 というありがた〜いお言葉をいただきました。
ランボー(もちろん詩人じゃなくスタローンの方)の如く怒り狂った私は、 「こんなクソ会社、辞めてやる!!!」と思ったのですが、 いきなり辞めたら金が入ってこなくなり死んじゃうので、 歯軋りをしながら耐えておりました。
そして色々考えた結果、「こうなったら転職するしかない!」という結論に至り、 リクナビネクストに登録して何か良い職場はないかと探す毎日でした。 (現在は「良い職場」なんてものは存在しないと分かるのですが、 当時はそんなこと分かりませんでした)
そして年が明けた1月中旬ごろ、リクナビネクストの私のページに 一通のメールが届いていました。
「なんだ〜?企業からのオファーか〜?」と思いながら見てみると 「リクルートエージェントで転職やらないか」というメールでした。
それまでリクルートエージェントなんて聞いたこともなかったので色々調べてみると、 1対1で転職活動をサポートしてくれる会社ということが分かりました。 しかも無料で(どこの転職会社も同じだけど)。
「本当にきちんとサポートしてくれるのかね」という思いはありましたが、 ここは前進あるのみと思い「面談の予約」をしたのです。
リクルートエージェントは大阪第1ビルの北側にあり、 職場から歩いていくことができました。
外見も中身も立派なオフィスで「うちのクソ会社とは大違いだなぁ」 というのが第一印象でした。
受付で「面談予定の六郎です」と告げると個室に通され、 エージェントさんと第一回目の面談となりました。 (エージェントというので、「アンダーソン君!」 みたいなのが出てくるかと思ったら、ただのおばさんでした)
私がいかにみじめな境遇に置かれていて、 マトモな企業の経理部に何としてでも転職したいと訴えると、 エージェントさんは「わかりました。何とかしましょう。」 と言ってくださいました。
そしてまず、職務経歴書を書いてくれと言われたので 「クソ会社で不本意な仕事ばかりやらされているので、 頭にきたから真っ当な会社の経理で働きたいです」 と正直な気持ちを書いたら、
「こんな内容で転職できるわけないでしょ!」と、 すごいダメ出しをされてしまいました。
反省した私は、職歴書や面接を1から勉強することにし、 転職の本を読み漁り、エージェントさんに面接の模擬演習を何度もしてもらいました。
※大学生の就活の時にも真剣にやっておけば良かったな とも思いましたが、あの時は働きたくない一心だったので 怒りに燃えていたこの時ほど真剣にはできなかったであろう。
その甲斐あって、会社受けする職務経歴書と面接ができるようになったのですが、 心の中では何かスッキリしないものがありました。
今思えば、元々社畜の生活なんてまっぴら御免の私が、 会社から気に入られるための職歴書や面接の方法、 つまり社畜の価値観を無理やり身に付けたわけですから、 心の奥底では悲鳴を上げるのも当然のことだったのです。
それでも、クソ会社から脱出したい思いで一杯の私は、 スッキリしないまま必死に面接を重ねました。
すると、必死の思いが天に通じたのか、 転職活動を始めて2ヶ月で、京都のメーカー(東証一部) の経理部に内定を貰ってしまいました。
エージェントさんも 「まさか経理未経験の人が、こんな短期間で経理部に転職を決めるとは思わなかった」 と、ビックリされてていました。
内定が決まって何が嬉しかったって、 あのクソ部長の鼻を明かしてやることができたのが何より嬉しく、 送別会の時にクソ部長に中指を立ててやりました(やったー!カッコイイー!!) 。
そんなわけで、意気揚々と大阪の会社を辞め、 ニートをしていた思い出の地、京都へ舞い戻ることになったのです。
これが地獄への一本道だとも知らずに…
京都で転職失敗の巻に続く。
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