前回の記事:山梨に左遷、山梨で生きていくの巻
生まれて初めて車を購入した後、暫くの間は山梨県内をグルグル回っていたのですが、 しばらくすると県内だけでは物足りなくなってきて、 諏訪、木曽、戸隠、長野、上越、高山、白川郷など様々な観光地に行って、 自然をエンジョイしまていました。
このように、プライベートは大いに充実し、 京都で溜まりに溜まっていたストレスも段々と抜けてきたのですが… 子会社のレベルが、想像以上に酷かったのです。
しかも、他の従業員には残業代がキッチリ付いているのに、 私は出向ということで、残業代がビタ一文出ませんでした。
子会社でも経理をやっていたのですが、やる気など出るはずもなく、 やっぱり1日の殆どをネットサーフィンで過ごしていました。
本社では相変わらずO課長のパワハラにより、 次々と人が辞めさせられていたようでした。
しかし、あまりにO課長が毎日怒鳴り散らすので、 O課長が目をかけていた京大卒のKさんまで 人事の仕事が嫌になって辞めたのは、お笑いでした。
そんなこんなで、山梨に来ても京都のブラック企業従業員であることに 変わりはなく、「自分はブラック企業従業員なんだ」という思いが、ストレスの元となっていました。
そして、色々考えた結果 「せっかく自然が綺麗な場所に住んでいるので、職場もストレスフリーなところにしよう」と、 2度目の転職を決意したのです。
以前も書いたので知ってる方多いと思うが、 この京都のブラック企業、私の退職後に従業員が決起して労働組合を結成しました。
そして社長を吊し上げ「次は会長だ」と騒いでたら、 親玉である会長がおっ死んでしまいました。
Foo↑気持ちいい〜
転職を決意した際、前回と同じようにリクルートエージェントを使用しました。
山の中に住んでいるということで、エージェントさんとは 電話での面談となりましたが、職務経歴書の内容も 申し分ないとのことなので、すぐに活動を開始しました。
そして、開始して2週間経ったある日、 山梨と長野の県境付近にある、某メーカーを紹介されました。
応募すると、書類選考がスンナリ通ったので、 「まぁ面接くらい受けてみようか」 と思ってしまったのが、ケチの付きはじめだったのです。
面接に行くと、酔っ払いのチンピラみたいな社長と、 もし入社した場合に私が所属することになる部署の部長が座っていました。
面接では、これといったことは聞かれず、 やれ「君は優秀」だの、やれ「是非とも我社へ」だの 最初から最後までず〜っとおだててくるのです。
現在ならこんな見え透いたお世辞に一々反応しないのですが、 ブラック企業で酷使されて精神的に疲れていた当時の私にとっては、 たとえ見え透いたお世辞でも、「なんて素敵な会社だ!」 という錯覚を起こさせるのに、充分な効果があったのでした。
そしてついに、何とも情けない話ですが、 まだこれを書いている時点(2011年)では現職である、 クソ田舎のブラック企業に転職することを決めてしまったのです。
地獄の山梨ブラック企業に続く。
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