解説まとめ『ザ・マスターキー』2015第4章

前回の記事:『ザ・マスターキー』第3章

今回は4章。

何年も経った今読み返してみると、 前回や今回あたりはそこそこ書けているなあといった印象を受けました。

それにしても、「解説まとめ」と銘打っている割には好き勝手書いている感じやね。

まあ、最終章まで書いている分、途中で飽きて尻切れになっている2021年版より余程マシだけど。

身体は借り物にすぎない

次は第4章。前フリでは、

「今までの世界が限られた成果しか上げられなかったのは、 エネルギーそのものでなく、エネルギーの顕れ、結果に注目してきたから。 その原因を無視してきたから。人生はエネルギーを表現する舞台である」

みたいなことが書かれていますが、意味が分かるでしょうか。

ここで解答を書いても良いですが、そんなものは私の個人的見解の範疇を出ないので、 自分で考えて自分なりの見解を出すのが一番だと思います。

それはともかく1では、「私」とは私の身体でも思考でもなく、 身体や思考は道具に過ぎない、ということが書かれております。

身体や思考を「自分である」と思い込んでいるのは、 『ニューアース』読んだことある人ならお分かりでしょうが、 思考(エゴ)によるもので、この身体なんてものは、宇宙からの借り物に過ぎないのです。

事実、私が死んで焼かれるなり埋められるなりしたら、 私の身体は分解されて自然に還ってしまいます。

だからといって私の身体を構成していた分子が消滅するわけではなく、 水分子とか炭素とかの形で、相変わらず地球上を漂っています (もし人間1人分の質量が消滅したら地球が吹き飛ぶ!!!)。

まあそんな感じで、この身体は地球、ひいては宇宙からの借り物に過ぎず、 寿命が来たら返さなきゃいけないのはどう考えても真実な訳ですが、 この辺のニュアンスで一番わかり易いのは横山光輝(山岡荘八)の『伊達政宗』で片倉小十郎が死ぬシーンなので、 興味ある人は読んで頂戴。

私的には横山光輝の伊達政宗よりも武田勝頼(新田次郎原作)の方が好きですが。

宇宙を意識できるか!?

ここまでは長い前フリで、この4章では、宇宙全体の視点から見ましょうとか、 「私はなりたいものになれる」の「私」の意味をよく考えて繰り返せとか、

内面より外面をコントロールする方が容易いので多くの人間はそうするが、 「真の私が何か」に気付けば外面より内面をコントロールする方が簡単、 などといったことが色々書いてあります。

要は「宇宙を意識せよ」と書いてあるのですが、「はいそうですか、じゃあそうしましょう」 と簡単にできるものではありません。

※そもそも「宇宙≒潜在意識」だとすると、それを意識した時点で既に潜在意識ではなくなる、 というのは前々回書いた通り。

1つヒントがあるとすれば、22の

「波の表面は荒立っていても、深いところでは静かにながれている」

という表現。

喜怒哀楽と感情が様々に変化する、金持ちになったり貧乏になったり怪我したり健康になったり 人生の状況が様々に変化する、その感情や状況の変化が「荒立った波の表面」であり、 その奥底には普遍の静かなものがあるのです。

それこそがサブタイの「パワーの秘密」であり、 「あなたはそれを少しでも感じることができるか」ということです。

これは所謂「あなたが動揺しているとき、『動揺している』という気付きは動揺していますか?」 「あなたが動揺しているとき、あなたの『存在』は動揺していますか?」と同じようなもんです。

まあこの辺は感じようと思って感じられるものではないし、 私も感じられたりられなかったりだし、運要素が大いに関わってくるものなので、適当にやってください。

次回は5章。

次回の記事:『ザ・マスターキー』第5章

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