第2章十一節から十三節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第2章九節から十節

前回は身体との同一化によって生まれる苦しみと、 対応策について書きました。

今回で2章も終わりで、 十一節は「思考という形との同一化」について今一度書かれています。

本章の最初の方にまとめて書いてくれりゃ良いのに、 何で散らばっているんだと思うのですが、 まぁこれも些細なことです。

2章十一節 忘れられる「大いなる存在」Forgetfulness of Being

まず十一節ですが、「存在 Being」が忘れ去られる経緯は以下の通り。

このように、自分の頭の中の声を「これが俺だ!」「これが真実だ!」「これ以外ありえない!」 とやってしまうから、「現実」というものが地獄になり、人生に様々な苦しみが生まれるのであります。

※この声に操られている限り、引き寄せメソッドとかやっても無駄だというのはお分かりだろう。 本書7章や10章にも引き寄せっぽいことが書かれているが、有象無象の引き寄せ本とは質が違う。 以前たとえ話で書いたが「雲の下で晴天を望むか、雲を突き抜けて晴天に臨むか」くらい違う。 まぁこれも私の思い込みかもしれないが。

なお、当節におけるエゴの定義および同一化についての記述は、 ゴチャゴチャした日本語よりも英語の方が簡潔で分かりやすいので、 英語版を載せておきます。

Ego is a conglomeration of recurring thought forms and conditioned mental-emotional patterns that are invested with a sense of I, a sense of self.

Ego arises when your sense of Beingness, of “I AM,” which is formless consciousness, gets mixed up with form. This is the meaning of identification.

2章十二節:デカルトの誤りからサルトルの洞察へ From Descartes’s Error to Sartre’s Insight

お次はデカルトとサルトルについて。

このようなことが書かれているのですが、 他の箇所でもほぼ同じことが書かれているので別に飛ばしても良いと思います。 (読んでも意味不明だから飛ばして二度と読まないはマズいと思うけど)

2章十三節 全ての理解に勝る安らぎ The Peace That Passes All Understanding

2章の最終節は、『The Power of Now』や 『Stillness Speaks』にも何度も書かれていた「お手上げ(SurrenderもしくはAcceptance)」について。

簡単に言うと、自分が「これが私だ!私のだ!」と同一化していた対象 (モノ、身体、評判、財産、人間関係etc.)を失うと、まずは激しい怒り、恐怖、悲しみ等を感じるが、 その後に「理解不能な安らぎ、静謐、自由」をくやしい!でも感じちゃうとのことで、

何で「大事なもの」を失ったのに安らぎを感じるのかというと、 対象に同一化していたエゴも同時に崩れ去ってしまい、 「形のないアイデンティティ」「意識」が発現するから。

理論を書くと以上の通りですが、 こんなの記憶してもどうしようもないので 具体的な実践方法を示すと、

「自分」にとって「嫌なこと」が起きたとき、抵抗するかお手上げするか、 選択肢はこの二つのうち一つで、

ということであります。

なので、抵抗せず「人生をそのままに」しておくのがよいのですが、 そうしろと言われて「ハイ、じゃあそうします」とはいかず、

「そもそも『抵抗』って何だよ」という話になってしまい、 それについては次の3章に色々と書いてあります。

以上、今回はここまで。次回から3章。

第3章一節に続く。

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