前回の記事:第2章十一節から十三節
今回から第3章。
3章のサブタイは「The Core of Ego」ということで、 エゴの核心部分、構造についての説明が主となっております。
これまでの章で「頭の中の声はエゴ」「『俺が、私が〜』の99%はエゴ」なんて書いてきましたが、 何でエゴに乗っ取られると苦しみが生まれるのかその理由等について、 エゴの核心を自覚できれば何となく分かってくると思います。
まずは「エゴの構造」ということで、2章二節および十一節と大体同じ内容となり、 早い話が今までのおさらいとなります。
- 大抵の人間は、自分でも意図していない強迫的で絶え間ない思考の繰り返しとそれに付随する感情、 つまり「頭の中の声」に完全に自分を同一化している。
- しかも、「頭の中の声」と自分を同一化していることにすら気付けないし、実際、まったく気付いていない。
- 結果、頭の中の声を「この声が俺だ!」と思い込んでいる。 これがエゴイスティックなマインドであり、どの思考、記憶、解釈、視点、反応、感情にも「私の」「俺が」というエゴが、 過去に条件付けられたエゴがつきまとう。
- エゴを形成しているのは、「私の物語」という記憶の集積、 演じている役割、国籍、人種、肩書、外見、積もった恨み、優越感や劣等感、成功や失敗など。
ちなみに、「エゴの中身は違えど構造はみな同じ」というのは今までにあった通りで、 「エゴは『同一化』と『分離』によって生きながらえている」と当節にあります。
簡単に説明すると、「同一化」とは思考や感情といった概念的なものを含む「形への同一化」であり、 「分離」というのは「全体からの分離」のこと。
頭の中の声に乗っ取られたために「全体」から分離し、 遅かれ早かれ崩れ去る「形」に同一化した結果、苦しみや争いが生まれるのですが、 言葉で説明するよりも自分自身で体験されるのが一番でしょう。
尤も、こんなことは体験しすぎて、 たった今も体験していることにすら気付いていないのが大半でしょうが。
このように、人類の大部分は「普通のマトモな状態」と称して上のような気違い沙汰を生きており、 「私が〜」「私は〜」と言ったり考えたりするとき、 十中八九エゴがそう言っているというのも、今まで散々書いてきた通りです。
まぁいくら気違い沙汰だ狂気だといっても、 当の本人が満足ならば余計なお世話なのですが、
頭の中の声にアイデンティティを見出し、マインドが作り上げた「私」を通じて生きていると、 形は移ろう(思考や感情といった形は特に)のでアイデンティティの基盤は非常に不安定となります。
この、今にも崩れそうな不安定な基盤故に苦しみや喪失の恐怖が生まれ、 「この不安定さや恐怖を何とかしよう、安定した確固たる基盤にしよう!!」 とエゴはもがくわけです。
その悪あがきの一例が、 2章で挙げたモノの所有や身体との同一化によるエゴの強化であり、
本章の大半を割いて説明されている、 「私」という形の対局に「自分以外」「他者」を作り上げること、
そしてその「自分以外」に反応し「自分以外」を批判することにより 相対的に「自分」を大きく優れた確固たるものにするという手段なのですが、
こんなことやっても不安定さや恐怖、苦しみは相変わらずそのままだというのは、 これを読んでいる皆様が「普段のマトモな生活」で実感されている通りであります。
以上、今回はここまで。
次回からは「悪あがき」のケースが色々出てきます。
第3章二節に続く。
生きる上で大変ためになる記事一例
引き寄せに関する大変素晴らしい記事一例
...