前回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その8
今回は第15問および第16問。
15問は相変わらず下らない質問だけど、16問はアートマン(真我)に関する質問。
まあこの辺の問答に対する回答、 ひいてはラマナ全般の思想というのは、全部『ウパデーシャサーハスリー』に書かれているんですけどね、初見さん。
「アートマンを肉体とつなげると苦しむ」「アートマンを心とみなすと苦しむ」 「『そうではない』『そうではない』と、アートマンとそれ以外のものとの同一化を否定していった先にアートマンがある」
などという、どっかで聞いたことあるような内容が本書にはワンサカ書かれております。
パクリやんけ!と思うかもしれないけど、インドでは模倣(というか思想の引継)は推奨されることで、 本書の解説文にも「ラマナ・マハルシはシャンカラの思想を現代風にアレンジして影響を与えた」 なんて書かれております。
でも8世紀にこんな思想を書き記せるなんてやっぱインドは凄いわ。 その頃の日本なんて「大仏でござるwwww」の時代やったからな(大仏も充分凄いだろ)。
この問いに対する回答は「思考が湧いて出てくる限り」、つまり死ぬまでということになっております。
厳密にいえば「『私』を主語とした思考が出てくる限り」なのですが、 例外を作ると言い訳ばっかりして例外だらけにする輩が世の中多いので、 全ての思考としておいた方が良いでしょう。
ここは引き寄せ系みたいに感情が動いているとき、 特にイライラしていたり怒っていたり恐れているときにやるのが良いでしょう。
本当は嬉しいときにこそやるべきだと私は思うのだけど、 嬉しいときはこういう「探究」やら「修行」なんてものは脇に追いやられるからね、仕方ないね。
※ちなみに私は某動画サイトで下らない素晴らしい動画を見て大爆笑しているときにやっていた。
回答では「『私』という思考が絶対にないところ」と書いてあり、
これは言い換えれば「『私』が絶対に認識できないもの」ということです。
なんかさー「真我」「悟り」に限らず引き寄せ関連の潜在意識とかでもそうなんだけどさー
「潜在意識が意識できる」「真我(アートマン)を意識したり感じたりできる」 「修行で潜在意識や真我をコントロールすることができる」 と勘違いしちゃってる馬鹿ばかりなんだよねーこの界隈
意識できないから「潜在意識」なんだしさー、 所詮は矮小なエゴのやってることでエゴの枠外でなるようにしかならないのに、何考えちゃってるんだろうねー
と、当サイト内やnoteで猛虎弁ばかり使っているので反省し、東京時代を思い返して東京弁を使ってみたのですが、 あまりの流暢な東京弁に感動し、打ち震えております。
こういうときに「では、感動に打ち震えている『私』とは誰か?」と自身に問いかけるのがラマナの言わんと欲するところである、
ということで、今回はここまで。
次回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その10
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