前回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その12
今回を入れてこの解説も残すところあと2回となりました。
軽はずみに始めた当解説ですが、元々の内容が簡潔で分かりやすいので、 何か書いてもあまり意味ないように思えてきます。
まぁ今更そんなこと言っても仕方ないので、最後まで適当に書いてまいります。
「思考を超えた『何か』を指し示した本については、どの本も指し示している方向は同じなので、 それが理解できたらあとは読まんでええで」
「というか、本はあくまで『指し示している』だけだから、本の中に真理は無い。なので本を崇め奉っても無駄や」
というのが回答。
あと、最後の一文
いずれ学んだことをすべて、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。
については、分かる人には分かること。
ぶっちゃけてしまえば、本というのは他人の意見に過ぎず、 本を崇拝するということは他人の思考を崇拝することであり、
それがどんなにアホらしくて危険なことか、賢明な読者ならお分かりでしょう。
この辺の個人崇拝の件に関しては別途noteにでも書きますわ。
「世界と呼ばれているものは、ただの思考に過ぎない」
「思考が存在しないとき、マインドは幸福を体験する」
「世界(つまり思考)が現れると不幸を味わう」
というのが回答で、
外部の出来事、例えば「金が手に入ったから幸せ、(人や金や物と)別れたから不幸せ」等によって決まることはない、 というのは散々当サイトでも書いてきた通り。
まあ分からない人には死ぬまで分からないでしょうから、死ぬまで苦しみ続ければ良いのです。
別に苦しむことが「悪いこと」ではありませんからな。
英語版だと「洞察力」は「wisdom-insight」となっていて、「ものごとの真理を見抜く智慧」のこと。
で、その智慧とは所謂「超能力」などではなく、マインドを真我に置いておくことが洞察力とのこと。
何かよく分からんことを言っておりますが、頭で考えているから分からないのであって、 頭で分かろうとせず放っておけば、そのうち「分かって」きます。
ということで今回はここまで。
次回はいよいよ最終回。
次回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その14
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